Palazzo Ducale - IMMAGINI GENTILMENTE CONCESSI DAL SERVIZIO TURISMO DEL COMUNE DI MODENA モデナ観光ガイド
パダナ平野のエミリア通り沿いに位置する美しい地モデナ。世界的に有名な自動車会社"フェラ-リ"の本拠地(マラネッロ)があることでも有名。ロマンチックな城が数多く存在する宝石のような地。
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ギルランディ-ナ: モデナのシンボル
大聖堂の後陣側には、モデナのシンボルとされている"ギルランディ-ナ"という名の調和の取れたほっそりとした塔が建っている。この塔は、大理石の高欄が塔先端を冠のように包み、花輪のように愛らしく見えることから、モデナ市民によってギルランディ-ナ(小さな花冠)という愛称を与えられた。 ギルランディ-ナは、もともと大聖堂の鐘楼として生まれたが、その鐘は市民に生活の時を告げるだけではなく、城門の城門を知らせ、緊急時には危急を知らせて市民一同を集めるなど、都市機能の重要な役割を務めてきた。
ギルランディ-ナの中の部屋のひとつには、有名な14世紀の"盗まれたバケツ"の複製が天井に吊るされている。盗まれたバケツは、モデナ人とボロ-ニャ人に間にザッポリ-ノの戦いを招いた、卑劣にして重要な原因となったもの。
ギルランディ-ナの5階までは、ロマネスク期に建てられたもので、1179年にはすでに完成していた。最上階と八角形の尖塔は、精巧なゴシック建築芸術の模範例とも言うべきもので、アリゴ・カンピオーネの図面に基づいて1261年~1319年の間に建てられた。コ-ベルの小ア-チが、伝説に登場する架空の猛獣や人間の像の装飾を施したコ-ナ-と共に、この階を引き立たせている。かつて守護聖人の住まいであった5階のトレザ-ニの間には、カンピオ-ネの工匠たちによる歴史的にも貴重な柱頭が存在する。

グランデ広場: 町の心臓部
ドゥオ-モ、ギルランディ-ナの塔、そして、コムナ-レ宮の風通しのよいア-ケ-ドによって囲まれたグランデ広場は、常にモデナの脈動の中心であった。まさに、市民とカソリック信者の共同体としての歴史的シンボルである。
この広場では、幾世紀にもわたり、精神世界および世俗世界の権力が司されてきた。華麗な王宮の扉の階段から、あるいは、コムナ-レ宮の手すりから、法や社会世界の規範が発せられてきたのである。 この広場が市民に負わせる使命を、今日もなお、"リニャド-ラ"の石台が証人の様に見つめている。この大理石の巨塊は、公国時代には演説者が群集に向かって"講義"をする舞台等として使われていた。その他この広場は、斬首刑の執行・罪人への刑罰の実施、祭りや競技の場として利用されてきた。現在でも、趣のあるカ-ニバルの仮想パレ-ド、パリオ(裸馬競馬)が開催されたりしている。更に、広場は幾世紀にも渡り、市場・流通の場としても栄えてきた。その証に、大聖堂の後陣では、"ペルティカカ"、"コッポ"、"マット-ネ"、"ブラッチョ"等、当時の商人達が使用していた度量衡を目にすることができる。また、中世期に存在した「公正評価局」(商業取引の公正を期すために機能した)のシンボルとなった、当時のモデナ人達からボニッシマ(大善人)と呼ばれていた女性の小像は、今日もなお、この広場の片隅から市民を見守っている。

モデナのドゥオ-モ(大聖堂): 9世紀にわたる華麗な歴史
1099年6月9日、ある傑作の誕生を記念すべく、モデナのドゥオ-モの最初の石が積まれた。やがて完成したドゥオ-モは、ロマネスク建築を代表する華麗な芸術作品となり、当時の人々を驚かせた。今日もなお、その美しさと独創性は人々を魅了してやまない。
当時の年代記によると、神の霊感によって建築家が洗濯されたといわれている。大聖堂設計の大任は、教会とモデナ市民により、"優れた芸術家にして建築家" であったランフランコに委ねられた。ランフランコは、斬新で大胆な建築活動に生涯を捧げた人物で、彼の死後、黄金期を迎えたロマネスク建築に大きな影響を与えた。ランフランコが設計した器に、名匠ヴィリジェルモの彫刻が注がれ、みごとな調和によって大聖堂が生み出された。
ヴィリジェルモとその弟子は、華麗な装飾の創作者であり、ロッジャや半円柱の柱頭や、小ア-チのコ-ベルに、草花のモチ-フや、想像上の獣の装飾を施した。これらの建築学的なモチ-フは、リズミカルな対位旋律を奏でるかのように、ドゥオ-モ全体の緑を包み込んでいる。正面にある彫像は(神聖、世俗、天国、邪悪をテ-マにした像)は、名匠ヴィリジェルモの工房から生まれたもので、当時の人々の信仰、希望、恐れ、確信など、中世の人間の全体的な精神世界を語るものである。
ヴィリジェルモの偉大な芸術は、特に正門扉の装飾にから良く見ることができる。そこには、素朴ながらも力強い表現によって、中世人の世界観が要約されている。人生の苦難の旅を描いた、古代神話や中世寓話から引用されたライオン、竜、ケンタウロスなどの獣と信徒との戦い。最終目的の救済を描いた、天国の"主のブドウ園"を想わせる、ブドウを収穫する歓喜溢れる場面など、不気味で危険な場所を想像させながら、人生を象徴するかのような茂みの中に、人間の精神的な進化を絶えず脅かす様々な罪の描写が見え隠れしている。 脇柱の内側には、イエス・キリストの到来を告げる大主教と預言者の姿が見えるが、それは天国と地獄の分水嶺という教会の扉の象徴的な意味を強調している。すなわち、教会に集う信徒は救済されるが、その外に溜まる者は、悪魔の餌食に化する恐れがあることを暗喩しているのである。 創世記の救済を描いたヴィリジェルモによる4枚の石板レリ-フ(アダムとイブの生涯、カインとアベルの物語、ノアの箱舟の有為転変など)は、9世紀を経た今なお、その強烈な緊張感と表現力、卓越した語りの力を何ひとつ失うことなく、見る者に無類の感動を与え息づいている。
ヴィリジェルモとその一門による作品は、ランフランコが設けた他の二つの扉からも見ることができる。 広場に面した秀麗な「君主たちの扉」は、特色のある数々の像が刻まれ、守護聖人"聖ジャミニャ-ノ"の絵巻によって信徒を暖かく迎えている。 ギルランディ-ナの塔に近いドゥオ-モの南側面には、「魚屋の扉」がある。この扉の両脇にある男像柱はきわめてリアルで、まるで扉をくぐろうとする人々に、彼等の上にのしかかる寺院を支えるために助けを頼んでいる様にも見える。内側の脇柱に施された「12ヶ月の仕事」の彫刻は、人間とその仕事に捧げられている。類稀な飾り迫縁は、イギリスのア-サ-王伝説を彫った物である。
ドゥオ-モの脇柱と台輪の上には、伝説中の獣たちが茂みの中に浮かびあがっている。特に、屋根の突出部に彫られたレリ-フには、様々な架空の獣人たちが生き生きと描かれている(オリジナルは、現在ドゥオ-モのラピダリオ博物館に保存されている)。
1100年末から1300年の間、ランフランコとヴィリジェルモの仕事は、カンピオ-ネの工匠たちに引き継がれることになる。彼らは、イタリアの最北部、ルガ-ノ湖畔のカンピオ-ネ出身の建築家・芸術家の血縁集団で、大聖堂完成の大任は父から子へと引き継がれていった。工匠たちは、正面の大きな薔薇窓とグランデ広場に面した典麗な「王宮の扉」を手がけた。この扉は大聖堂の白とピンクの壁と素晴らしい対比をなしている。また、工匠たちは、教会内の華麗な説教壇と内陣仕切りも手がけた。また、この説教壇と内陣仕切りの前には、モデナの守護聖人聖ジャミニャーノが眠る地下聖堂への入り口がある。この地下聖堂の内部は、貴重な柱頭を持つほっそりとした小円柱によって支えられたア-チ型の天井が存在する。

その他の観光スポット:
-エステ・ギャラリ-Galleria Estense
-エステ図書館Biblioteca Estense
-市立考古学・民俗学博物館Museo Civico Archeologico Etnologico
-市立美術館Museo Civico

資料・写真提供モデナ市観光サービス

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