歴史
トラヴェルセトロの丘に流れる4つの河川による河岸段丘とタロ川の流域は、パルマ周辺の中で最も古い時代(旧石器時代初期、100 000-35 000年前)から人類が生活していた。また、旧石器時代後期(35000-10000年前)になると、人々の生活領域はタロの谷やチェノの谷へも広がった。< br>
平野地域のマミアーノ、コッレッキオ、サンタ・マルゲリータ・ディ・フィデンツァでは、新石器時代 (紀元前4500)頃に主な居住が始まったとされている。コレッキオでは、銅石併用時代 (紀元前2700-1800)から墓への埋葬が行われるようになった。
そして、青銅時代には肥料に適した油性の黒い土が蓄積されるようになる。
四角形の堤防で居住地を囲み、そこから水源までを細い用水路でつなげ水を運んだ。このような居住地は50以上存在したといわれ、その中でも有名なものにカスティオーネ・マルケーゼ、ボルゴ・ヴァロリオ・ディ・パルマ、カステラッツォ・ディ・フォンタネラートがある。
紀元前4世紀後半から紀元前2世紀初頭までケルト部族が占領、その後、リグーリア部族が占領していたが、ローマ人の訪れにより逸脱した。
ペルピ山脈のノチヴェリア、ウンブリア、ロケッタ・メッティ(バルディ)、コスタ・デッレ・カーゼ(ポンテチェーノ)、ロッカ・カザーリ(ボレ)などに多く残る青銅器・鉄器時代の城塞には、先住民による勇猛な防衛が記録されている。
|